■野宮神社について■


由来

伊勢斎宮・源氏物語旧跡 野宮神社

その昔、伊勢神宮にお仕えする斎王が道中にその身を清められた場所「野宮」に由来します。嵯峨野の清らかな場所を選んで建てられる野宮は天皇の御即位毎に定められていました。当社は平安時代のはじめに、嵯峨天皇皇女仁子内親王が斎王として選ばれた時の場所とされています。

その後、斎王制度は後醍醐天皇の時代に廃絶しましたが、当社は神社として存続。勅祭が執行されていました。しかし、それも時代の混乱の中で衰退していきます。

後に奈良天皇、中御門天皇らから大覚寺宮に綸旨が下され、再興に至ります。その折より、当社は皇室からに篤い御崇敬を受けております。

ご利益
御本殿右側
 愛宕大神・・・鎮火勝運
御本殿左側
 白峰弁財天・・・芸能上達
 白福稲荷大明神・・・子宝安産、商売繁盛
 大山弁財天・・・交通安全、財運向上
 野宮大黒天・・・良縁結婚

御祭神  御本殿
 野宮大神(天照皇大神)

黒木鳥居と小柴垣

当社は、過去に行なわれた斎王制度の面影が残る唯一の神社で、クヌギの木を皮を剥がさずにそのまま使用する「黒木鳥居」は、鳥居の形式としては最古のもので。当社の周りを囲むクロモジの小柴垣も古来の形式です。この2つは平安時代に行なわれた「斎王群行」の面影やその風情を、現代に伝えています。

源氏物語と野宮神社

「物はかなげなる小柴を大垣にて、板屋ども、あたりゝ、いと、かりそめなり。黒木の鳥居どもは、さすがに神ゝしう見渡されて、わずらはしき気色なるに、神官の者ども、こゝかしこにうちしはぶきて、おのがどち、物うち言ひたるけはひなども、外にはさま変わりて見ゆ。」 源氏物語 賢木の巻

元来、野宮は黒木鳥居が建ち小柴垣に囲まれた聖地で、その様子は、平安時代、紫式部によって書かれた「源氏物語」の「賢木の巻」にも登場。文中には、六条御息所が娘の斎王とともに忌み籠もりをした場所であると書かれており、当社は光源氏とその御息所が離れがたい思いを抱きながら別れた場所でもあったのです。

野宮大黒天とお亀石

当社はさまざまな神をお祭していますが、なかでも「野宮大黒天」は縁結びのご利益があると名高く、連日、女性の方をはじめ、多くの参拝者が訪れます。その、そばに置かれている「お亀石」は、願いごとをしながら石をなでると1年以内にその願いごとが叶うといわれています。御祭神や各社にご参拝していただき、最後にこの石をなでていただければ、大願成就となるでしょう。


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